日本のM&A市場は、過去最高を記録した2025年の勢いを維持し、2026年上期も引き続き堅調に推移した。日本はアジアで最も活発なM&A市場の一つであり、2026年通年のM&A件数は2025年比で2.8%増加すると予測される(図表1)。こうした市場の底堅さを支えているのは、コーポレートガバナンス改革の継続、資本効率改善への要請、企業の強固なバランスシート、アクティビスト投資家からの圧力、そして新たな成長の源を求める企業のニーズなど、複数の構造的な要因である。
市場の力強さは、日本のM&Aの活況が単なる景気循環によるものではないことも示唆している。日本企業は、国内での自前の成長を実現することがますます難しくなる一方、投資家からは、より明確な資本配分と高いリターンを求められる環境に置かれている。同時に、経営陣には、ポートフォリオ内の各事業について、自社がその事業の価値を最も高められる「ベストオーナー」であるのかを厳しく問う目も向けられている。 こうした要因を背景に、M&Aは企業戦略においてこれまで以上に重要な役割を担うようになっている。企業は単に「成長を買う」のではなく、事業ポートフォリオの再構築、新たなケイパビリティ(組織能力)の獲得、ガバナンスの強化、企業価値向上のためにM&Aを活用するようになっている。
引き続き重要な3つのテーマ
2025年の日本のM&A市場をけん引した3つのテーマ――事業開発、グローバル展開、業界再編――は、2026年も引き続き重要である。
- 事業開発。既存の中核事業の市場が成熟するなか、企業はM&Aを活用して新たな成長領域に参入し、顧客との接点を広げ、より包括的な商品・サービスを構築しようとしている。特に通信、デジタルサービス、小売、金融サービスなどの分野では、自前で構築するには時間がかかりすぎる、ケイパビリティ、ライセンス、顧客との関係、ビジネスモデルなどを買収によって獲得できる。そのためM&Aは、従来の事業領域の枠を越え、隣接市場への展開を加速させる重要な手段となっている。
- グローバル展開。日本企業が新たな市場やケイパビリティ、魅力ある事業領域へのアクセスを求めるなか、海外企業の買収は引き続き重要な成長手段である。日本企業にとって海外M&Aの目的は、もはや国内の低成長を補うことだけではない。需要の拡大やサプライチェーン・ネットワーク、顧客へのアクセスを生かし、長期的な競争力を築ける市場で事業基盤を強化することも重要な目的となっている。
- 業界再編。成熟した国内市場では、引き続き業界再編が進んでいる。その背景には、規模の確保、商品開発力の強化、成熟市場に対応したビジネスモデルへの進化が必要とされていることがある。同様の再編の動きは、人件費の上昇、テクノロジー投資の必要性、国内需要の縮小、サプライチェーン強化の必要性といった構造的な課題に直面するさまざまな業界でもみられる。こうした業界では、M&Aによる再編を通じて業界構造をより強靭なものとし、競争力を高める動きが進んでいる。
新たに注目が集まる2つのM&Aトレンド
2026年、日本のM&A市場では、これまでのテーマに加えて新たな動きがみられる。「グループ再編」と「上場企業に対する積極的な買収提案」という2つのトレンドが、市場の特徴として浮上している。
グループ再編がM&Aアジェンダの中心に
日本企業には、「どの事業を保有すべきか」「どの事業を立て直すべきか」「どの事業を売却すべきか」を改めて見極めることが、これまで以上に求められている。
その背景にあるのは、資本効率改善への要請、ガバナンス改革、アクティビスト投資家の存在、そしてコングロマリットディスカウントへの対応の必要性である。日本企業の多くは長い年月をかけ、多角化、海外展開、子会社の設立や取得を通じて事業ポートフォリオを形成してきた。これまで経営陣は、特に個々の事業が利益を上げている場合、こうしたポートフォリオのあり方を必ずしも厳しく問い直してこなかった。しかし、こうした経営のあり方は変わりつつある。投資家は、それぞれの事業がグループ戦略にどのように貢献しているのか、また、企業が最も魅力的な機会に資本を配分しているのかを、これまで以上に問うようになっている。
グループ再編は、大きく3つの方向で進んでいる(図表2)。
- 事業ポートフォリオ再編。1つ目は、事業ポートフォリオ再編に伴う、非中核事業の整理・売却である。企業は、各事業の成長性、収益性、戦略との整合性、シナジーのポテンシャルを評価する必要がある。自社がその事業を保有する戦略的な意義が乏しい場合には、売却やカーブアウトによって、より大きな価値を創出できる可能性がある。たとえば京セラはケミカル事業の一部を新会社として切り出し、その新会社の全株式を住友ベークライトに譲渡することを発表した。この案件は、京セラにとっては事業ポートフォリオ見直しの一環である一方、住友ベークライトにとっては、AIデータセンター関連を含む高付加価値材料分野の事業基盤を強化する買収といえる。こうした取引は、歴史的に積み上げてきた事業・資産をそのままグループ内に保有し続けるのではなく、それぞれの事業にとっての「ベストオーナー」を見極める重要性が高まっていることを示している。
- 海外子会社など買収子会社の再評価・ターンアラウンド。2つ目は、過去に買収した事業、とりわけ海外子会社の再評価やターンアラウンドである。日本企業の多くは、過去10年間に買収を通じてグローバル展開を進めてきた。しかし、買収した事業のなかには、期待していたシナジーやリターンを実現できていないものもある。企業は今、こうした事業について、追加投資、経営陣の交代、ガバナンスの強化、事業の立て直し、あるいは撤退などの意思決定を行う必要がある。多くの企業が過去に買収した海外子会社を再評価し、より大きな長期的価値を創出できる領域へ経営資源を再配分している。
- 親子上場の解消。3つ目は、長年にわたり日本で課題となってきた親子上場の解消である。投資家が、少数株主の保護やグループガバナンス、資本効率にこれまで以上に注目するなか、親子上場の解消を求める圧力も強まっている。親会社には、上場子会社について、上場を維持するのか、完全子会社化するのか、売却するのかを明確にすることが求められている。医薬品卸のメディパルホールディングスによるPALTACへのTOBは、親会社が上場子会社を完全子会社化し、親子上場を解消するとともに、グループガバナンスを強化する動きの代表例である。
こうした動きを総合すると、グループ再編はもはや単なる「守り」の取り組みではない。企業価値を能動的に高めるための経営アジェンダになりつつある。企業は、自社がベストオーナーであるのはどの事業か、パフォーマンスを改善したうえで撤退・売却すべきなのはどの事業か、そしてオーナーシップを変更することで価値を引き出せるのはどの事業なのかを見極める必要がある。こうした難しいポートフォリオ上の選択について社内の合意を形成するには、経営陣の強いリーダーシップが不可欠である。
上場企業に対する積極的な買収提案が活発化
日本企業や投資家の間では、上場企業に対して積極的な買収提案を行う動きが広がりつつある。2023年に経済産業省が「企業買収における行動指針」を策定して以降、「同意なき買収提案」を含む比較的積極的な買収アプローチを、戦略上の選択肢として検討する動きがみられる。2026年7月には、パブリックコメントを経て、経済産業省が同指針の解釈やポイント、Q&Aを明確化した最終資料を公表した。これらの資料は指針自体を改定するものではないが、その適用のあり方をより明確に示している。特に、企業の取締役・取締役会が「平時から経営努力を尽くすことで企業価値を高める」こと、また、買収提案を受けた際には、現経営陣が経営する場合(スタンド・アローン)の企業価値向上策と、買収提案の内容を速やかに比較検討できるよう備えておくことの重要性が強調されている。
方向性は明確である。「同意なき買収提案」を含む買収提案は、日本において戦略上の選択肢の一つになりつつあり、対象企業の取締役会には、「企業価値・株主共同の利益」を基準に、こうした提案を評価することが求められている。この動きは、上場企業に対する買収提案の実務にも影響を及ぼしている。買い手側には、戦略に基づく買収候補の選定や、対象企業がスタンド・アローンで実現できる企業価値向上プランを踏まえた説得力のある価値創造ストーリーの提示が求められる。そして買収提案を受ける可能性のある上場企業側も、実効性のあるフルポテンシャルプランを事前に準備しておくことが重要になっている。特に、次の3つの点が重要である(図表3)。
- 買い手企業は、自ら買収候補を見いだす動きを強めている。これは敵対的買収に限った話ではない。日本企業は、金融機関などのアドバイザーからの「持ち込み案件」にとどまらず、自社の戦略上の優先順位をもとに、より広く、主体的に買収候補を特定するようになっている。たとえばブラザー工業は、将来の成長領域の一つである産業用印刷事業を強化し、両社の技術と事業基盤を組み合わせることを目的に、TOBを通じてMUTOHホールディングスの完全子会社化を進めている。
- 買収提案では、シナジーだけでなく、対象企業の成長への貢献を示す必要がある。買収を成功させるためには、買い手側がどのようなシナジーを得られるかだけでなく、買収対象企業の成長にどのように貢献できるかを示す必要がある。横河ブリッジホールディングス(HD)による、プレストレストコンクリート橋梁の建設を専門とするビーアールホールディングス(HD)へのTOBは、その一例である。横河ブリッジHDが示した買収の意義は、買い手側から見た事業統合効果にとどまらない。建築分野の人的資本への投資や、建設業界のデジタルトランスフォーメーション(DX)を支えるインフラへの投資などを含め、ビーアールHDの事業機会を拡大する。また、鋼橋に強みを持つ横河ブリッジHDとビーアールHDが協働することで、より強固な受注体制が構築される。このような成長を軸とした買収の合理性は、上場企業のM&Aにおいてますます重要になっている。対象企業の取締役会や株主は、オーナーシップが変わることで、どのように価値が創出されるのかを理解したいと考えるためである。
- 上場企業自身もフルポテンシャルプランを準備する必要がある。積極的な買収が広がる動きは、買収対象となり得る企業にも影響を及ぼす。従来型の買収防衛策だけでは十分でない可能性があるためだ。株主価値よりも経営陣の保護を優先しているように見えれば、投資家から否定的に評価される恐れもある。より本質的な防衛策は、自社の本源的価値と市場価値のギャップを埋めることである。ある上場デジタルサービス企業をめぐる最近の事例は、こうした状況を示している。この企業は非公開化の提案を受けた一方、大株主が相応の持分を保有する形の別の提案についても公表した。このような状況では、取締役会は、買収提案が魅力的かどうかだけでなく、自社が独立した企業としてどこまで価値を創出できるのかを把握しておく必要がある。こうした事例は、上場企業が外部からの圧力を受けて対応を迫られる前から、自社のフルポテンシャルプランを明確に描き、実行しておく重要性が高まっていることを示している。
2026年の活発な日本のM&A市場を特徴づけているのは、M&Aの「目的」が広がっていることである。日本企業は、成長の追求だけでなく、事業ポートフォリオの再構築、ガバナンスの強化、アクティビストや株主からの圧力への対応、さらに、企業のオーナーシップをめぐる競争の活発化への備えなど、多様な目的でM&Aを活用するようになっている。今後優位に立つのは、M&Aを単なる個別の取引の積み重ねとしてではなく、企業価値向上に向けた恒常的な経営アジェンダとして捉え、どの事業を成長させ、どの事業を立て直し、どの事業を売却し、次にどこへ資本を投入するかを継続的に判断していく企業である。